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Contents Vol.7

オリとパラのあいだに見える、水泳シーンの現在地

元オリンピアンであり、現在はスポーツジャーナリストとして水泳の魅力を発信し続ける松田丈志。2019年からパラ水泳日本代表総監督を務め、日本代表を支えてきた上垣匠。オリとパラ、それぞれの立場から水泳に深く関わり続ける二人が、競技環境の変化、情報化がもたらす泳ぎの進化、そしてこれからの水泳のあり方について語り合った。

2人が引退を意識したきっかけ

ー基本的なところからお伺いします。まずは松田さんと上垣さんの関係性について。お二人は10歳違いでいらっしゃるんですよね。現役時代に交わることはあまりないですか。

上垣:私はアトランタオリンピックの選考会の年が最後でした。
松田:僕はアトランタの選考会には出ていなくて、シドニーの選考会が初めてかな。なので、交差することはなかったんですよね。

ー10歳って、代表チームでいうと、一番ベテランと一番若手の差ぐらいになるんですかね。

松田:代表チームだとそれぐらいですかね。ただ、僕がリオオリンピックの時は32歳で、当時の(池江)璃花子が16歳だったので、最近はそれぐらい離れることもあります。鈴木聡美のように、今は30歳を超えて泳ぐ選手が増えました。前はほぼ皆無と言ってよかったと思うんですけど。

ーそうですよね。それこそパラの領域だと、鈴木孝幸さんは今39歳ですよね。

松田:僕のちょっと下ですもんね。

ー現役を引退された身からすると、39歳で泳ぎ続けているというのは、どれぐらい非現実的なことなんですか。

松田:やっぱり心と体ですからね。技術的なものはいつまでも上げられると思うし、水着や道具の進化もある。栄養戦略の進化もある。ただ、モチベーションと体がどこまで持つか。そこに尽きると思います。

ーお二人は引退を意識されたきっかけは何だったんですか?

松田:最後に出場したのが2016年のリオだったんですが、個人種目では代表権が取れなくて、リレーのみだったんです。個人で出られなくなったということは、自分の力が落ちてきているということだし、その時からすでに「リレーの代表をやりきって引退しよう」と決めていました。

ー最初から、個人で代表権が取れなくなったら、という区切りを決めていたんですか。

松田:そこまで明確ではないですけど、世界で戦えなくなったらやめるというのは自分の中にあって。あとは、おそらくこれは上垣さんも一緒だと思うんですけど、水泳はタイム競技なので、もう自己ベストが出ないとわかった瞬間に「ああ、潮時だな」という感じはありました。
上垣:そもそも私の時代は、大学を卒業してからアスリートを続ける環境がまだ整っていなかったんです。自衛隊かミキハウスぐらいしかなくて。

ーそんなに選択肢が少なかったんですね。

上垣:そうなんですよ。ですから、基本的には大学を卒業したら競技をやめて、就職するという流れがオーソドックスだったんですね。私の場合も、中学生ぐらいの時から、大学4年生がオリンピックの選考会の年になるとわかっていたので、そこで出られても出られなくても、その年が最後だと決めていました。そこから先、続ける選択肢はそもそも持っていなかったんです。

ーちなみに松田さんが上垣さんのことを知ったきっかけ、初めて会ったタイミングはどこだったんですか。

松田:多分、上垣さんがパラの監督をされていた時、ゴールドウインもパラをサポートしているので、水泳大会で会ったんだと思います。オリパラ合同で出られるようなインクルーシブな大会とかもあるので、そういうタイミングだったかな、たしか。

競技を続ける環境は良くなったのか

ーかつては大学を卒業したら水泳を続けることが難しい時代から、今はだいぶ選択肢が広がった。水泳をめぐる環境自体は良くなっていて、長く選手を続けられるようにもなっているということでしょうか。

松田:簡単に「良くなった」と言っていいのかはわからないですけど、大学を出てからも水泳を続ける選手が増えているのは事実です。代表のことでいえば、競泳で日本代表を狙うようなトップ選手をサポートしてくれる企業は増えていると思いますね。そういう意味で、社会や企業の理解は以前より深まっているのかなという気はします。

ー今、松田さんがおっしゃった「良くなったと一概には言えない」というのは?

松田:キャリアが多様化しているのは、間違いなくポジティブな面。それってスポーツ界だけの話じゃないと思うんですよね。転職する人も増えているし、働き方も多様化している。以前のような「大学を出たら一括新卒採用で」という文化も以前よりは減ってきているじゃないですか。
一方で、僕が若干危惧しているのは、「じゃあ、いつまでその水泳という夢を追いかけるの?」ということ。大前提としてセカンドキャリアは個人が決めればいいんですが、先輩スイマーの思いとしては、「なんとなく続けないでね」と。やるならちゃんとやろう、いつまでやるかはちゃんと考えよう、というのは、ちょっと思ったりします。

ーなんとなく続けられるぐらい環境が整ってしまった、みたいな側面もあると。

松田:そうですね。これは上垣さんにお聞きしたいんですが、パラの場合はどうですか?外側から見ている感じでは、パラをしっかりサポートするという強い意思を持つ企業が増えたのかなと。その中で、選手たちのモチベーションも維持できているのかなと思うのですが。
上垣:確かにパラの場合、東京オリパラ以降、パラアスリートを支援する企業が圧倒的に多くなりました。大学を卒業してからもパラアスリートを続けるというのは、もはや当たり前になっています。逆に、それなりのレベルであれば、大学卒業と同時に引退する選手はほぼいません。
どちらかというと、パラの場合は、パラアスリートであることが選手本人の付加価値につながるところが大きいんですね。彼らの障害と社会との接点が、アスリートであることによってきらりと光っている。それともうひとつ、社会的にも障害者雇用枠の割合が毎年上がっているので、そういう部分の整合性も取っていくことができます。今はむしろ、パラアスリートの方が恵まれている面もあるんだと思います。

ーそうなんですね。

上垣:ですから、松田さんがおっしゃったような、将来のキャリアを考えずになんとなく続けることへの危惧についても、パラの場合は“パラアスリートを続けることが、その選手のキャリアアップにつながっている”ように捉えられるんですよね。

情報化によって、個性は均一化する?

ースポーツを人生の中でどれだけ大きなものとして捉えるか。プロのスポーツ選手であっても、スポーツ一辺倒じゃない方がいいんじゃないか、という考え方も広まっている気がするんですが、そのあたりの変化についてお二人はどう感じていますか。

松田:その変化は実際に感じますね。昔は、大学体育会という濃いコミュニティの中で暮らす中で、そこで共有されている情報しか得られなかった。でも今は、それこそAIに聞けば世の中のことを大体教えてくれますよね。見えている世界が、横にも縦にも広がっているんじゃないですかね。
SNSを開けば、自分とはまったく異なる人生がたくさん出てきます。そうすると、じゃあ自分は競技やスポーツをやめた後どうするのかな、ということを考えるきっかけが増える。

ーそれって、泳ぎにも影響するんですか?例えば、いろんな情報が手に入ることで今のトレンドを簡単に吸収できる一方で、個性がなくなってしまう、など。水泳でも、技術的に進化する一方で、個性が縮こまってしまうようなことがあるのかなと。

松田:均一化に向かう力学は働いているかもしれませんね。理想的なフォームみたいなものが仮にあるとしたら、その正解がすぐに見られる状態なので、独自性が出づらくなる。

ーその時代ごとに理想的なフォームというのは、やはり存在しているんでしょうか?

松田:うーん、そうですね。少なくとも、セオリーを度外視して速い泳ぎ方というのは、あまりないと思います。基本的なセオリーの上に、その人の体の特徴がどれぐらい合わさって独特な泳ぎになるか。いまはセオリーにたどり着くスピードが速く、最初からある程度の答えが見えちゃう。そういう意味では、均一化しているともいえるかもしれません。

ーそれはパラの世界でも同じなんですか。

上垣:全般的にはそういう傾向だと思います。ただ、オリの場合は、フィジカルに優れていて、可動域を含めた筋力も整っていてはじめて、理想的なフォームに到達できる。でもパラの場合は、そもそもいろんな部分が欠損したり、動かなかったりするので。
松田:一人ひとり体が違いますもんね。
上垣:そうなんです。だから、他所から集めた情報だったり、オリの新しい技術を実際に自分の体に落とし込めるかというと、そうではないケースが大半。どちらかというと、個性をいかに磨くかが大切なんですね。
だから、オリンピックの選手は、情報化社会の中で脱個性の問題が出てきてしまうと思うんですけど、逆にパラの方は、自分の残された機能を最大限に生かすことにフォーカスするしかないので、そこは違いますね。

ー現時点で理想的とされるフォームって、どういうものなんですか。

松田:水泳はわりとシンプル。速くなる方法は、いかに抵抗の少ない姿勢をとれるか、いかに推進力を得られるか、この2つしかない。抵抗の少ない姿勢で言えば、より流線形に近いストリームラインのポジション。推進力で言えば、とにかく水の捉え、キャッチです。陸上のランニングでいう“接地”ですね。

ーこれまで、泳ぎ方の考え方がガラッと変わったタイミングはあったんですか。今までこうだと思われていた常識がいきなり変わった、みたいな。

松田:いつ変わったかを明確に指すのは難しいですけど、最近の水泳のトレンドでいえば、とにかく「減速する瞬間を減らす」こと。平泳ぎが一番わかりやすいんですけど、かつて北島康介さんは、世界一美しいストリームラインと言われるような、グライドでグーッと伸びる泳ぎで世界のトップに君臨しました。でも、実は伸びている時間って、減速しているんですよ。

ーなるほど。

松田:体はじっとした状態でスーッと進んでいるので、省エネではあるんです。でも、絶対に加速はしない。それを覆したのがアダム・ピーティーという選手。とにかく掻く、掻く、掻く。伸びている時間がもったいないじゃん、という考え方なんです。ただ、それってパワーとスタミナの両方が必要になってくるので、しんどい泳ぎ方ではある。それで最後まで押し切れれば速いですよ。平泳ぎにかぎらずあらゆる種目で、「加速局面を増やして減速局面を減らす」というのは、基本的なセオリーです。そこに向けた泳ぎの進化は、今でもありますね。
上垣:私の時代は、平泳ぎといえば林享さんが世界でもトップレベルの選手だったんですが、彼はどちらかというとストロークテンポが速いタイプでした。要は、加速局面をたくさん持つ。私たちの時代はみんなそうしていたんです。そのあと北島康介が出てきて、伸びてストローク回数を減らした方がいいよ、というのがトレンドになって、またレベルが上がり、今度はアダム・ピーティーが出てきて、また変わった。

ーめちゃくちゃ面白いですね。アダム・ピーティー的な泳ぎというのは、要はフィジカルの限界値を上げていくことになるんですか。

松田:そうですね。体つきも全然違います。ひと昔前の人が見たら、本当に水泳選手かと思うぐらいムキムキで(笑)。今で言えば野球の大谷くんみたいなフィジカルがあり、技術的にも優れている。選手の能力値としてパーフェクトに近いというか。

ーでもそれって、フィジカルのポテンシャルで大部分が決まってしまいそうでもありますよね。

松田:そうなんです。でも、それだとつまらないじゃないですか。小柄でも世界でメダルを取る選手が出てくる余地がまだある。そこにはまだ面白みが残っていそうだなという気はします。平泳ぎの大橋(信)くんなんかも小柄ですし。日本人の勝ち筋があるとしたら、そこかもしれませんね。

上垣さんから見た、松田丈志という選手

ー上垣さんから見て、松田さんはどういうタイプの水泳選手ですか?

上垣:北島さんも含めて、同世代の選手がみんな一緒に上がってきた印象が強かったですね。私たちの時代、アトランタでメダルを取れなかったんですが、2000年のシドニーから日本水泳界が飛躍していった。松田さんはその中の一人だったので、個人的にも応援していました。ちなみに、私の妻も元スイマーなんですけど、松田選手の大ファンで(笑)。

ー松田選手のキャラクターというか、こういうところがすごいな、他と違うな、という部分は何かありましたか。

上垣:細かい性格まではわかりませんが、どこか一本筋が通っているんですよね。アスリートとしても、人としても。昔のビニールハウスのトレーニングなんかもみると、すごく努力されてここまで来られたんだなというヒストリーを感じます。見ていて安心感があり、なおかつ応援したくなる存在でしたね。

ー松田さんには水泳界の守護神っぽいところがありますね。

松田:本当ですか(笑)。

ーご自身でその意識はありませんか?

松田:いやあ、どうですかね……でもたしかに、引退して今年でちょうど10年目になるんですが、社会の一部であるスポーツ、その中の水泳業界がどう立ち振る舞っていくかという視点は、選手時代より強く持つようになったかもしれません。

ー上垣さんは、パラの世界に足を踏み入れたきっかけとして、脳性麻痺をお持ちの息子さんの存在がすごく大きかったというお話がありました。現実に向き合わなきゃいけないこととして、「パラ」が立ち会われたというのが印象的だったんですが、ご自身の中で何か言語化しているテーマはありますか?

上垣:テーマを一つに決めて進んでいくと、ふと我に返った時に、自分の進んでいる道と社会の流れが合っていないことがあると思うんです。だから、どちらかというと、常に変わり続ける社会の中で、いかに自分が水泳界に貢献できるかということを常に意識しています。
オリと比べても、パラは選手が長いキャリアを持つ世界ではあるんですが、それでも社会からの影響は受けざるを得ない。例えば2013年に、パラの管轄が厚生労働省から文部科学省に移り、さらなるハイパフォーマンスが求められるようになった。あるいは、法定雇用率が上がっていくことによって、彼らが働ける場が増えていく。そういったことは、我々が意図せずとも社会が変わっていく部分なんです。そこにいかにフィットさせていくかが課題なんだろうなと。あと、パラはオリに遅れている部分もたくさんあるので、そこに追いつくことも大事ですね。

ーその遅れている部分というのは、具体的にはどういうところですか。

上垣:まずは環境部分。日本の文化的な背景もあると思うんです。元々、福祉の部分から来ていますので。先ほど言った省庁が変わるという話も、まさにそれを象徴しています。元々ハイパフォーマンスを求めないところだったのが、オリのような実績を求められるようになってきた。今はまだオリの方が華やかな成績をたくさん残してきているので、そこに追いつけ追い越せではないですけど、とにかく日々意識している部分ではあります。
松田:省庁が変わったのは大きいですよね。

ーお金のつき方や評価の軸もまったく変わってくるわけですよね。

松田:先ほど上垣さんがおっしゃった世の中の流れは大事だと思いますよ。向かい風の中を走るのと、追い風の中を走るのでは、ぜんぜん違うじゃないですか。社会のムードを感じ取りつつ、自分のアイデンティティがスポーツや水泳にあるというのはわかっているので、それをどう生かしていくか。

ー松田さんが今感じている時代の風は、どういう方向に吹いていて、そこにどうアジャストしていこうと考えていますか。

松田:これは自分が好きだからというのもあるんですけど、これだけ何でもAIがやってくれる時代になったので、結局、身体性を伴うものが残っていくと思っています。僕の体感としても、運動している方が気分がいいし、体も健康でいられる。自分の子供にも、食や運動を通じて自分のコンディションを保てる人になってほしいと思っています。
水泳も、そのためのひとつのツールなんです。自分自身で自分の心と体を整えられる人が社会の中に増えれば、そこに水泳があることの価値は広がるかなという気がしています。

ー本当にそうですよね。

松田:SNSでの誹謗中傷は社会問題の一つですが、「お前ら全員プールで泳げよ」って言いたくなる(笑)。それは水泳でもいいし、ランニングでも筋トレでもなんでもいいんですけど、身体を動かすことでベクトルが自分の方に向くと思うんです。ただ、全員がすぐに行動に移せるわけではないから、まずは自分がそうするし、自分の子供にもそうさせたい。

ーちなみに上垣さんは、今は泳がれたりするんですか。

上垣:それがね、まったく泳いでいないんです(笑)。プレイヤーとして松田さんほどのキャリアはないんですけど、自分の中ではやりきってしまった部分があって。誰かのために泳ぐことはできるんですけど、自分のためには泳げていないんですよ。実は、私の地元が兵庫なんですけど、兵庫国体がちょうど31歳の時にあったんですね。そこで、私を育ててもらった故郷のために泳ぎたいと思い、トレーニングをして出場したんです。でも、そういう動機が今はなくて。

ーでも、体型は今も保たれていますよね。

上垣:いえいえ、過去に比べるとだいぶおじさんになっちゃいましたよ(笑)。自分も、生涯スポーツとしての水泳にアクセスしていかなきゃいけないなという気持ちはあるんですが。おそらく私自身が、“本当に楽しんで水泳に取り組む”ということが、時代的にもなかったのかもしれません。

ーそこにあるのは苦しみのみ、みたいな。

上垣:そうです。常に怒られながら育ったので、どうしてもそこから脱却できていない。だからこそ、私が指導者になった時には、そういうことは一切やらないと決めていました。松田さんみたいに引退後も水泳を続けられるような、そういう指導を心がけています。

ー松田さんは、引退後の選手としてはかなり運動量を保たれている方なんじゃないですか。

松田:誰と比較するかによりますけど、OWSやトライアスロン、トレイルランニングにはチャレンジしていてやっている方だと思いますね。

ー大会に出るモチベーションはありますか?

松田:現役の時にギューッと追い込んで、上垣さんと同じように「やり切った」という気持ちがあるから、今は水泳の競技会に出たいとはあまり思わないんです。一方で、学生時代に何らかの理由でやり切れなかった人が、大人になってマスターズにハマるパターンもある。「お前、現役の時それぐらい頑張れよ」って思う人もいそうなくらい(笑)だから、良し悪しではなく、多分、人生の中でフェーズやタイミングがあるんだと思うんです。

楽しさに気づくタイミングがあるということですね。

2人が思い描く、水泳界の未来

ー2020年代の後半に突入しましたが、これから水泳界がどういう形で進んでいくのが、お二人にとって一番良い未来だと思われますか。

松田:さっき上垣さんの話にもあったように、昔はとにかく怒られながらやらなきゃいけない時代で、僕自身も半分そっち側だと思うんです。でも、楽しくないと誰もやらないし、誰も観てくれない。水泳を取り巻く環境が変わっていく中で、それをより楽しくするための日々の練習、競技会、情報発信の工夫が必要なのかなと。それをしないかぎり、いち競技として淘汰されていってしまう。水泳界の内側の人間として、それについてはみんなと一緒に考えなきゃいけないんじゃないかなと。

ーいま一番突破したいところはどこですか?

松田:競泳界のトップチームは日本代表じゃないですか。やっぱり日本代表が輝かないと、その下も輝いてこないところがある。だから、日本代表チームは常に憧れられてほしいという気持ちがあります。一方で、Speedoさんや渋谷区との取り組みを通じて、「泳ぐ日はいい日になる。」というキャッチコピー通り、日常的に水泳をやっている人たちを楽しませることも仕掛けていきたい。その両輪ですね。

ーたしかに、松田さんが現役だった時の水泳日本代表は、ものすごく憧れられる存在であり、カリスマ性が集中していた印象です。巡り合わせもあると思うんですが、ああいうものは再現可能なんでしょうか。

松田:そういう意味で言うと、いまは若干アゲンストの風が吹いていると思います。僕らが現役の時は、スポーツ観戦のメディアといえばテレビしかなかったし、オリンピック期間中はテレビをつければ何かしらのレースや試合を観ることができた。今はメディアも多様化し、全員が同じものを観る時代ではない。その中でやれることは何なのか、ということを考えるときが来ているんだと思います。

ー上垣さんはいかがでしょう。今のお話を受けて、特にパラの世界がどのように浸透していくのが理想的だと思われますか?

上垣:パラに限定した回答は難しいんですけど、我々は競技性という部分で育ってきた世代です。ただ、今は水泳を単なる競技性だけで楽しむ人だけではない。マスターズには単に楽しむために泳ぐ方もたくさんいらっしゃいますが、若い世代の中にも、そういう水泳との向き合い方があっていいと思うんですね。生涯スポーツとしての水泳といいますか。必ずしも大会に出ることが目標ではなく、日々の健康のために水泳に取り組む。ただ、特にジュニア期は、どうしても「いかに速く泳げるか」という、ピラミッドの頂点に向かうような流れに集中しがちなんですよね。

ーそれは昔からですか。

上垣:昔からですね。日本水泳連盟の資格級に則って、スイミングスクールに行ったら昇級するために練習に励む。昇級できる人はどんどん競技性を高めていくけれど、昇級できなかったら大体みんなやめていくんです。

ー自分も昔、同じ級で2回か3回残されたトラウマがあります(笑)。

上垣:そうです。徐々に淘汰されていくんです。実は、いまのトップ選手がみんな幼少期からトップだったわけでもないんです。小学校の時は活躍していなかったけど、高校生、大学生になって花開く選手も多い。そういった選手の芽を潰さず、きちんと育てていける仕組みが大事じゃないでしょうか。そういうムードに社会全体が向かっていければ、過去のスター軍団のようなチームがまた生まれる可能性もあると思います。

ーちなみに、お二人はずっとエリートだったんですか?

松田:どうですかね。僕は小学生で全国大会に出て、初めて優勝したのは中2の全国大会。それをエリートと言うのかどうかはわからないですけど。ただ、どうやっても勝てない同世代の選手は地元にもいたし、もちろん全国にもいました。

ー上垣さんはいかがですか。

上垣:私は小学校時代に初めてJOC(ジュニアオリンピックカップ夏季水泳競技大会)に出て、中学校ではたしか全国中学(全国中学校水泳競技大会)に出ただけだったのかな。高校3年生の時に初めてインターハイで表彰台に上がり、全国で勝ったのは大学生になってからですね。

ーどちらかというと少し遅咲き。でも、それでも辞めずに続けられた理由があったということですよね。

上垣:やっぱり当時の指導者の存在が大きい。自分のやりたかった水泳をさせてもらえたんです。普通だったら、中学生、高校生になると「こうしなさい」と厳しく指導されるものなので、たまたま良い巡り合わせがあったということですね。

ー最後に、今年やりたいことを、お一人ずつ教えていただけますか。

松田:僕は今年、例年よりオープンウォーターを泳ぐ機会が増えそうなんですね。佐渡のトライアスロンのリレーでスイムパートを担当することにもなりそうなので、例年よりも(トレーニングで)泳がなきゃいけないなと思っています。あとは、さっき言ったように、水泳を通して心身のコンディションを整えられる人を増やしていく活動を、継続してやっていけるといいかなと思っています。
上垣:私はパラスポーツのトップチームを担当しているんですが、そこの環境はだいぶ整ってきているので、新しい取り組みをしなくても流れに乗れるところがある。一方で、これからパラスポーツに取り組みたいという子たちをサポートする環境は、まだ整っていないんですよね。例えばスイミングクラブでも、受け入れるところが少ない。なので、パラの入り口になる機会を増やす取り組みにも重点を置きたいなと考えています。

プロフィール

松田丈志1984年、宮崎県生まれ。元競泳日本代表。オリンピック4大会に出場し、計4個のメダルを獲得。現役中からスポーツ栄養を学び、引退後には体育学の博士号を取得。現在はスポーツジャーナリストとして、「泳ぐ日はいい日になる。」を合言葉に、競泳に限らない水泳の魅力を発信している。

上垣匠1975年、兵庫県生まれ。元競泳選手。東京2020パラリンピック大会よりパラ水泳日本代表監督を務め、日本代表チームを強化面から支える。2021年の東京パラリンピックでは、金3個を含む合計13個。2024年では代表総監督として、金3個を含む合計12個のメダルを獲得。競技環境の整備やパラ水泳の普及にも取り組む。